ずっと疑問に思っていることがありました。
眠っている時に見る夢と、
将来の夢
それらがなぜ同じ”夢”という言葉を使っているのかということです。
ぜんぜん違う意味を表すのに、同じ言葉を使うことが不思議でなりませんでした。
たまたま日本語だけが同じ言葉を使っているならまだしも、英語で表してもどちらも同じdreamです。
これは理由があるに違いない…
長いこと答えは出ませんでしたが、
ここ最近娘の話を聞いていたらなんとなくわかった気がしました。
その話の前に辞書を確認してみましょう。
ゆめ【夢】
の解説
《「いめ」の音変化》1 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。「怖い夢を見る」「正 (まさ) 夢」
2 将来実現させたいと思っている事柄。「政治家になるのが夢だ」「少年のころの夢がかなう」
3 現実からはなれた空想や楽しい考え。「成功すれば億万長者も夢ではない」「夢多い少女」
4 心の迷い。「彼は母の死で夢からさめた」
5 はかないこと。たよりにならないこと。「夢の世の中」「人生は夢だ」→夢に →夢にも
出典goo辞書
夜見る夢も、将来の夢も、
「3 現実からはなれた空想や楽しい考え。」
であるというふうに考えることもできるかも知れませんが、
私にはしっくりきませんでした。
娘は自分の見たい夢を見られると言います。
見たい夢を思い描いてCDを作り、それをおでこから入れると見たい夢が見られるそうです。
それに、こうも言います。
叶えたい平和な世界をいつもイメージしていることが大切だよ。それを思っていればそうなるよ。
そういえば。ウォルト・ディズニーさんもこう言ってました。
「If you can dream it, you can do it.
(夢見ることができれば、それは実現できる)」
なるほど。
夢と夢…どちらも「思い描いた世界を見られる」ってことなんですね〜!!
え?私だけですか。こんなに腑に落ちているのは?
言葉が作られた頃の昔の人にとっては、夜は自分が思い描く見たい夢が見られるのは普通のことだったのかも知れないなあ。と大昔にまで思いを馳せてみます。
現代の人たちは忙しすぎて、夜、自分の見たい夢が見られることも、将来の夢は叶うんだということも忘れてしまったのではないでしょうか。
これから、精神性を重んじる「風の時代」がやってきて、
再び「夢と夢」この2つの言葉が同じであることがしっくりくる時代が来るのかも知れません。あくまでも私の考えです。
私??
私は夜、変な夢ばかり見て娘に笑われています😂