好きなことをする時間の大切さ
やりたい時にやる
2022年の過ごし方で大切なことは、「自然と一体になること※」ってYouTubeの人も言ってたわ。
ママだけでなくて、みんなにも大切なんだね。
※参考→過去記事「スサノオさん来訪②」
ママ、いつも家にいるから、お散歩に行かなくちゃね〜。
お散歩に行かなくちゃって思わなくていいんだよ。
嫌なら行かなくてもいいの。
お散歩行きたいな♪るんるん♪って気持ちの時にね、ちょっと外の空気吸って気持ちよくなるだけでもいいんだよ。
自然に触れることが大事だからと、嫌々散歩に行くよりは、散歩に行きたい気分の時に、るんるんしながら散歩に出かけ、自然に触れてますます気分良くなることをオススメされました。
「気分よくあること」が何よりとても大事なようです。
好きなことをする時間と習いごと
「好きなことをする時間の大切さ」についてもう少し話してくれました。
学校がもう少し遅く始まればいいな。
冬は夢ちゃん早く起きたくないよ。
夏は早起き出来るけどね。
人間の体は人それぞれなんだから、その人にあった時間があるんだよ。朝早く起きるのが快適な人もいれば、そうでない人もいるの。朝起きられない人はダメみたいに言われちゃうけどね。
それでも、この世界は決まった時間に学校に行くことになっている。
その上に、やりたくもない習いごとに毎日行かなくちゃならないなら、好きなことをする時間がゼロだよ。ママがぽわっとしたママでよかった〜。ママがもし、しっかりしたママだったら、夢ちゃん今ごろ、体操教室と塾に入れられてる所だったよ〜。体育もお勉強も出来ないからってね(笑)
自分がやりたくて、楽しんでいる習いごとならいいけどね。
お母さんってなんだか絶対的な存在だよ。
これやりなさい!
運動が苦手だから体操教室に入るわよ!
テストで悪い点をとるから、公文へ行きなさい!
って言われたら、子どもは行かなきゃならない。
そうだね。
お母さんが、ご飯作ったり、洗濯したり、お世話を全部してくれていて、その家の権力を持っていることが多いよね。逆らえない。
好きなことをする時間は大事?
好きなことをする時間がないと、自分と向き合う時間が無くなっちゃう。
自分と向き合う時間がないとどうなるの?
自分がどんな人間なんだかわからなくなっちゃうよ。
このことについては、私は実体験をもって痛感して生きてきましたのでとても納得しました。
やりたいことをやらせよう
子どもの頃私は、もの心がつく前にピアノを習っていて、その後も母に言われるがままに習いごとをいくつかしていました。
自分がやりたいなと思う前にやらされた習いごとには身が入らず、嫌々やっていたピアノは中学を卒業するまで続けましたが、驚くほどちっとも上手になりませんでした。
この経験から、本人がやりたいと思う前に”やらせる”習いごとには意味がないと学びました。
私の場合は、習いごとがたくさんで自分の好きなことをする時間がゼロというよりは、日常のあらゆる場面で、自分のやりたいことや私がどうしたいかなどよりも、母の理想通りに(世間体が良く)なるように、自分を消すことに全力を注いでいる状態でした。
それだけ母は絶対的な存在で、母が喜ぶように、母を怒らせないように、母をがっかりさせないようにということが、あらゆるものごとに対する私のすべての選択基準でした。
こういう生き方をしていると、自分という人間がどんな人間なのかわからない上に、心身の調子も著しく崩します。一時は鬱状態になり母を恨んだ頃もありましたが今では母に感謝しています。というのも、私が子どもの頃は、時代的に多くの人が世間体や常識に合わせて生きるような風潮でしたので、私の母もその上で出来る最善を尽くして一生懸命に育ててくれたのだと今ではとても良く理解出来るからです。
さて、時代は変わって自分の好きなことを仕事にしよう。ワクワクすることをしようという流れになってきました。世間体に縛られ子ども時代を過ごした私たちが親になった今、子どもたちにどうしてあげられるでしょう。
子ども時代に自分の好きなことをしていないと、自分がどんな人間なんだか全然わからないまま大人になります。
大人になってから、自分の好きなことって何だろうと探求し始めるのは遠回りだし、大人になってしまっている分、やらなければいけないことに追われる生活で、それまでに蓄えられた常識や思い込みなどの余計な思考が邪魔をしてしまい、自分の好きなことをするという簡単なことが、なかなか上手くいきません。
好きなこと、やりたいことってなんだろう…。
と、わからなくなっている大人の人、結構いると思います。
「子ども時代に好きだったこと、時間を忘れてやっていたことが自分の好きなことや才能だ」とちょくちょく耳にします。
子ども時代にあまりに自由時間がないと、または、あまりに母親の意見が強すぎると、好きなことがなんなのか、時間を忘れて取り組みたいこと(=才能)がなんなのかわからなくなってしまいます。
誰もが持っている、その人だけの才能を見出されないまま眠らせておくのはもったいないです。
「お母さんは子どもの為に良かれと思って、習いごとをさせたり、子どもが世間に出て恥ずかしくないように人並みに出来るようしてくれているんだ。」その気持ちもとても良くわかります。みんながやっていることをあえてやらせないのは勇気がいることでもあります。
でも、それは本当に子どものためなのか、もう一度深く深く考えた方が良いと私は思います。
「ママがぽわっとしたママで良かった」と夢ちゃんは言ってくれましたが、これに関してはしっかり考えた上での、あえてのぽわっとなのです。
「習いごと?別に〜。やりたいことがあればしてもいいよ〜。ポワポワ」と、あえて力を抜いているわけです。
え?習いごとの送り迎えが面倒なだけだろ?
そんな声も聞こえて来るやら来ないやら…