他人の顔色を見ない
うちのパパはものすごい自分軸で生きています。
とは以前にも何回か書いたことがありましたが、最近あることがあって改めてそのことについて考えました。
「うちのパパは手作りのお菓子は食べないんだ〜。
たとえ子どもが作ったとしても食べないよ。」
という話を友人に話したら、「えー!ありえない!作ってくれた人の気持ちとかは考えないのかな。」と、とてもとても驚いてしまいました。
私はむしろ友人がそんなに驚いたことにビックリしました。
「手作りお菓子は嫌だから食べない」というのは結婚前から一貫して変わらないし、もう慣れているので、「パパは手作りは嫌だから食べないよね。ママと子どもたちで食べようね♪」と楽しく食べて、子どもたちも私もなんとも思っていなかったからです。
パパのことを悪く言うつもりではなかったのだけど、友人にはパパがなんだかひどい人みたいに思われてしまいました(笑)その場では上手く説明できず…。
お菓子を作ってくれた人の気持ち。
作ってくれたものは少々趣味に合わなくても食べるという常識。
子どもが頑張って作ったんだから喜んで食べてあげるべきという固定観念。
パパはどんな時でも、
そういった「自分以外の人の気持ち」「常識」「固定観念」に全くとらわれていません。
自分が
食べたいか、食べたくないか
好きか、嫌いか
快か、不快か
という自分の気持ちにいつでも忠実に従っています。いさぎよいほどにわがままです(笑)
忘れてしまっていましたが、そういえば慣れるまでは私も、「ありえない!」と怒っていました。
お付き合いが始まって初めてのバレンタインデーにプレゼントした手の込んだ手作りのチョコレートケーキが、一口も食べないまま放置されているのを1ヶ月後に自宅を訪問した際に見つけたのです。
手作りお菓子は嫌いということを知らなかった私。ちょっとかわいそうです。
ですが、
今では1ミリもなんとも思っていません。
ただ、「そうなんだ」と思うだけです。
子どもの写真を撮らない。
運動会のビデオも撮らない。
睡眠も仕事さえなければ好きな時に寝るので、朝起きて夜寝るという常識すら関係なさげです。
食事の時間も…
と他にも枚挙にいとまがありません。
常識クラッシャーです。
それでも慣れてしまえば、「パパの生き方ってなんて自由で快適なんだ。」と心に平穏が訪れます。いさぎよいほどわがままな代わりに、人のわがままも全部「そうなんだね。」と受け入れてくれるからです。家族みんなが「嫌なものは嫌。好きなものは好き。やりたくないことはやりたくない。」と言えるんです。我慢して嫌々やることには心が入りません。嫌々やっている本人はもちろんハッピーではないし、パフォーマンスも下がります。嫌そうにしている人を見ている周りの人も幸せではないです。
実は、みんなが幸せになるためにも、もっとみんなわがままになって大丈夫なんですね。
こんな調子なので、この家族は揃ってレジャーに行くことも難しいです。誰かしらが、「私はそこには行きたくない。」とみんなの意見が合うことが滅多にないからです。「休日に家族揃ってレジャーに行くのが幸せな良い家族だ」という常識にとらわれて、それが叶わないことに苦しんでいた時もありました。
以前、こんなこともありました。
ある時期、パパの直属の上司が一日中部下を恫喝して人格否定をすることで有名な上司でした。
歴代のその人の部下が次々と鬱になり休職していく中、パパは2年間無事に勤めあげました。
職場の方から「〇〇さんは強いですね〜。」と言われた。と言っていましたが、
私は、これも自分軸で生きているからこその強さだと思うのです。
他人の顔色を伺って、自分を殺して、怒っている相手に合わせたり、相手の期待に応えることを続けていると心が死んでしまいます。自分が絶対に自分の心を殺さなければ周りにどんな人がいても自分の心は守れるんですね。
私は同じ様にできるかまだちょっと自信がありません(笑)最近幸せなことにあんまり嫌な人と関わることがないのですが、例えば家族の機嫌が悪い時など、必要以上にハラハラして、「私がどうにかしないと…」と考えてしまいがちです。もっともっと他人の顔色を見るということをやめて行きたいと思っています。