小っ恥ずかしいタイトルですが、今日は私が学んだ愛の話、パパの話です。
「あと1日で学校が始まるよ〜嫌だよ〜嫌だよ〜。」と我が家の姉妹は大合唱です。
パパは4日が仕事始めだったので、
3日の夜に「嫌だ〜嫌だ〜」と嘆いていました。
うちのパパは仕事以外では
”自分のやりたいことしかしない”
生き方を徹底している人です。
というよりはもはや、”自分のやりたいことしか出来ない人間”と言ったほうがしっくりくるくらいです。
決して悪口ではありません。尊敬しています。
自分の魂の望むことがいつもはっきり解っていて、それに従って生きているからです。
人にどう思われようと全く気にしません。
完全なる自分軸で生きています。
「嫌われる勇気」があります。
結婚当初、
私は、私が勝手に作り上げた”こうでなければならない”という固定観念や、今思えばよくわからない常識にとらわれまくっていました。
”私が思う常識”に沿ったように暮らせないことに、パパに対して、それはそれは腹を立てていました。
結婚したんだからこうするのが普通でしょ?
パパってこういうもんでしょ?
いわゆる一般的に言われている、よいパパ像のように振る舞ってくれない!
とキーキーキーキー怒りまくっていました。
どれだけ怒っても頼んでも無理でした。
彼は自分のやりたいことしかしない人間ですから。
一般常識なんて通用しません。人の指図は一切受けません。
私は自分軸で生きている彼のことを、ただの自分勝手などうしようもない人だと思っていました。
散々悩み苦しみ、
どうしようもない人だと思って諦めた時、
私は大きく変わることが出来ました。
常識ってなんだ。普通ってなんなんだ。
ということに、まず疑問を持つようになりました。
それらを捨て去って、色々なことに縛られるのをやめてみると、なんとも楽で心地よいです。やりたくなければやらなきゃいいだけです。
そしてある時気づきました。
私は彼にああしろこうしろと文句ばっかり言っているのに、
彼からは一切指図をされない、束縛の”そ”の字もない、心配もされない、私がどんなにだらしなくても、サボっていてもとがめられない。
私のやりたいことをひたすら尊重してくれていると。
全く心配されたり、束縛されたりしないので、
私に関心がないのかなと、初めは悲しくなりました。
結婚前までは心配や束縛こそが愛だと思っていましたから。
母の希望に沿えるように生きていたので、
私は自分がどんな人間なんだか全くわからなくなっていました。
私は結婚して初めて、
私のやりたいこと、私の感情、
私を尊重して大事にしてもらえたのです。
わからなくなっていた自分のことを少しずつ取り戻して、自分でも自分のやりたいこと、感情、自分自身を大切にするようになりました。
それまでずっとわからないと思っていた、
「愛する」
というのはこういうことなのか、とわかった気がしました。
長年かかりましたが、こうして私も彼を信頼して尊重するようになりました。
愛を学んだのです。まだ学び途中です(笑)
たまにキーキー言ってます…
幼稚園生から小学生くらいになれました。
それでも、今はとても穏やかで平和です。
さて、こんなに自分のやりたいことしか出来ない人が、嫌で嫌でたまらないのに、「君たち3人の為」と仕事に行ってくれています。ありがたくて、不憫で、申し訳なくてなりません。いつか私が大きく稼いで嫌な仕事を辞めさせてあげたいです。
壮大な愛の話でした(笑)
ーお知らせー
Twitterを始めました。
ブログに書くほどではないけれど、没にするのは惜しい。
娘がポツリとつぶやいた面白発言などを投稿します。
全くの初心者で要領を得ませんが、フォローしてくださると嬉しいです。
「ほ〜ら、オーラが出てるでしょ?
— 夢色共和国 (@yumeirosekai25) 2021年1月6日
ほらまた!
ほらね〜?友蔵が宇宙エネルギーとつながる!って言ってる!」
と言いながら、娘がちびまる子ちゃんを鑑賞している。
ちなみに、友蔵さんは宇宙エネルギーとつながって、かたくて開けられないビンのふたと戦っています。