2020年気づいたこと
2020年は世界中の人々にとって激動の一年でした。
私個人にとっても激動の一年でした。
と言っても、後半はほとんど休息の日々でした。
たっぷり時間があったので、もう一度自分自身について深く考え直すことが出来ました。
休息の中にも自分の感情が揺さぶられるような出来事が相次ぎ、その出来事と向き合うことで、自分が以前から持っている思考の悪い癖のようなものがいくつか見つかりました。
「気づいたこと」が成長への第一歩です。
それらの思い癖を一つ一つ手放していけるように心の持ち方を改めました。
ここで、2020年一番最後に手放したラスボス的思考癖を発表したいと思います。
「子ども達のことを心配すること」です。
手強かったです。いや、手強いです。
まだ完璧には手放せていないかも知れない。
道半ばです。
それに気づくまでの過程を、
恥を忍んで書いておきます。
今年の夏くらいから、
子ども達のことが心配すぎて、
モヤモヤモヤモヤ〜、
イライライライラ〜となる様な出来事が、次から次へと相次いで起こりました。
最高にモヤモヤし過ぎて、はたと気づきました。
「あれ?おかしいぞ。まただ。
また同じような状況に陥ってる。
これは意味があるに違いない。
私はこの状況から、何かを学ばなければならないんだ。そうだ…そうに違いない。」
思い癖に気づいて成長しない限り、また同じような問題が目の前に現れ続けるでしょう。
嫌だ嫌だ。それは嫌すぎます。
う〜ん。私が学ぶべきこと…何だろう…と考えながらお皿洗いでもしていると、ふとひらめきました。
私は、子ども達のことを心配し過ぎて、
あれこれ気を揉んで、先回りして助けようとしたり、思い通りに行かなくてイライラしたり…
子ども達のことを全く信頼してなかったのです。
これが私がクリアにすべき”私の”問題でした。
問題は自分の中にある
問題は、
”全然勉強しない我が子”でもなければ、
”うちの子に意地悪するお友達”でもない。
”理不尽な担任の先生”でもなければ、
”夜遅くまで大声で騒いで、我が子の睡眠を妨げる隣人”でもないのです(笑)
問題はいつも自分の中にあります。
心配は愛かのように勘違いされがちですが、愛ではないのですね〜。
気づけて良かった。
気づいた後は、
あれだけたたみかけるように起こっていた、
「子どもたちのことが、心配でたまらなくなる様な出来事」はパタリと起こらなくなりました。
心配は愛ではない
心配はその人の為にしているようで、実は自分の為にしているのかも知れませんね。(結局は自分の為にもならないので、やはり辞めたほうが良い)
「心配ではなく信頼する。」
2021年も忘れないように、私はこれを唱えながら暮らそうと思います。
今年12月にブログを開設し約一ヶ月間ですが、新しい世界に飛び込み、刺激に富んだとても楽しい日々でした。
いつも読んで下さっている皆様、
本当にありがとうございます。
2021年もどうぞ宜しくお願い致します。
それでは、良いお年をお迎え下さい♪